日本には女の子に初めて生理(月経)が来た初潮の日を赤飯で祝うという風習がある。
赤飯を食べる由来は「子孫繁栄」という意味が込められているそうだ。
私も実際母親にやられたのだが、本当に恥ずかしい黒歴史の思い出にしかならなかった。
「今は赤飯じゃなくケーキで祝う」などという意見も見たが、子供の頃の私からしたら「祝う」事自体が嫌なのでどちらもやめて欲しい。
子供にもよるのかもしれないが私は本当に嫌だったので、当時の考え方や感じたことをまとめてみた。
女性に生理が来ると知った小学3年生
私が生理というものを目の当たりにしたのは小学3年生の授業終わりだった。
起立という号令で立ち上がった時、前の席のゆみちゃんの白いズボンが真っ赤に染まっていたのだ。
そのことを伝えると彼女は顔を少し赤くして私に礼を言い、お尻をポーチで隠しながら軽やかに保健室へ走り去っていった。
保健の授業で女性は生理になると聞いてはいたが小学3年生には無縁のものだと思っていたため、私は「画びょうや釘があったのだろうか」と恐る恐る彼女が座っていた椅子をチェックしていた。
するといつの間にか後ろに立っていた友達のレイコちゃんに「きなこちゃん何してるの?」と不審がられ、理由を伝えると「それたぶん生理だよ」と教えてもらった。
「生理って本当になるんだ!」とビックリしたのを覚えている。
ゆみちゃんは身長が高く、胸も大きかったので成長が早いとは思っていた。
私は普通より早い初潮を迎えていたゆみちゃんに対して「女って大変なんだな」と他人事のように感じた。
初めて生理になった年齢
私は男兄弟の中での一人娘として育ったので、自分を「限りなく男に近い女」だと思っていた。
何かの間違いで女に生まれてしまっただけなので生理なんて一生来ないだろうし、万が一来たとしても20歳くらいの年齢になってからだろうと勝手に予想していた。
私は物心ついたときから親に「女の子なんだから正座してご飯を食べろ」とか「女の子なんだから家事を手伝え」ということを言われて育ったので、女性というだけで兄弟と差別されることに抵抗を感じていたのだ。
心のどこかで自分を女と認めることができずにいたのかもしれない。
しかし小学6年生の11歳のある日、お腹が痛くて自宅のトイレに入ったら生理になっていることに気づいた。
自分が普通に女性の体だったことが本当にショックだった。
どうしていいかわからず、台所にいた母親にすごく小声で「血…でた」とだけ伝えた。
母は「あら!生理になったの?おめでとう!」と笑顔で答えたのだが、私は「何がめでたいんだ」と強い苛立ちを覚えた。
パンツを変えてナプキンの使い方を簡単に教えてもらった後で、私は母に「お父さんや兄弟には絶対に言わないで!」と真剣に伝えた。
母は「わかった。内緒ね」と答えたので少しほっとした。
夕飯に赤飯が出てきた
その日の夕飯に赤飯が出てきた。
赤飯といつもと違う豪華な料理の前で「私が母と約束したことは一体何だったんだ」と信じられない表情で固まっていると、兄が母に「何で今日赤飯なん?」とキョトンとした顔でたずねた。
母は笑顔で「いいことがあったからお祝いなんよ」とだけ答えたが、それで内緒にしたつもりなのかと怒りと恥ずかしさで顔を上げることができなかった。
父は最初は黙っていたが、私に「縁起物やでちゃんと赤飯食べろよ」と言った一言で母親から聞いて知っているのだとわかった。
言わないでと言ったのに父にペラペラとしゃべった上に、遠回しに初潮を来たことを家族に公開したことで私の怒りはピークに達していた。
もし私に理性がなかったら、ちゃぶ台の料理全てを星一徹のようにひっくり返し、父と兄と弟の脳天に直撃させて記憶を失わせただろう。
その後、母の顔に赤飯を投げつける想像をしながら下を向きながら夕食を食べた。
無神経で嘘つきな母のことが1日で大嫌いになった。
まとめ
私の場合、男兄弟の中で女1人だったので、考え方が特殊だったのかもしれない。
姉妹なら何も感じないイベントの1つだったかもしれないし、他の家ではどうしていたのか聞くのも恥ずかしかったのでわからない。
しかし、あの悪魔のようなサプライズは本当に嫌だったので、もし子供を赤飯でお祝いしたいなら本人に必ず確認を取るべきだと思う。
もし自分の子供が女の子だったら私は絶対にそうするし、本人が嫌がれば普通の日と同じように過ごす。
「子孫繁栄」のご利益なんて私にはなかったし、今思い出しても腹が立つ思い出だ。
どんなに善意でお祝いされようが、小学生や中学生の多感な時期に家族の前で初潮を祝われるのは本当に嫌な人は嫌なのだ。
「初潮を赤飯で祝う風習」については、風習よりも本人の気持ちを大切にして欲しい。
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